弘法筆を選ばず

高校時代、音楽の道へ進みたいと漠然と思っていました。福岡や大阪にある音楽専門学校へ資料請求したりもしてました。とはいえ、そもそも、狭き門。何も持っていない人間がふわふわっとした浮ついた気持ちだけで突き進むことなんてできない茨の道です。その前提の下、色々な事情で結局は地元で進学することになりました。是が非でも押し切って音楽の道へ進まなかった理由は、しばらく後になって認めることになるのですが、自分の中に音楽という手段を以ってして表現したいことがなかったという、あまりにもお粗末なものでした。
きっと本当は心のどこかで気がついてもいたし、音楽の素養が皆無だったこともあって、人並みに流行りの音楽を楽しみ、ギターを多少演奏できるくらいの、若さと勢いだけが取り柄の馬鹿者だっただけでした。バイトで貯めてようやく手に入れた憧れのギターもガシガシと弾き込むことなく飾りと化し、数年後には売却することとなり、ギターにも随分申し訳ないことをしました。
時は現代、つい先日、映画監督是枝裕和さんと写真家瀧本幹也さんのタッグの元で制作された短編映画「ラストシーン」を観ました。主演は仲野大賀さんと福地桃子さん。上質でふくよかな作品だと思います。30分程度の作品ですので、ご興味をお持ちになられたらぜひご覧ください。
本作品のひとつの特徴として、iPhone16 Proで撮影されたそうです。普段の生活で使用しているiPhoneで撮影されたということを忘れるくらいの仕上がりです。
なにを言いたかったかと言うと、表現したいものがしっかりとあって、描いたイメージと寸分変わらない映像を紡ぐことができるだけの感性と技術があれば、撮影した機材がiPhoneであっても8ミリフィルムであっても家庭用ビデオカメラであっても、産まれてくるものは完成されているということ。それが最先端を走る名手によるものならば尚更。
機材は表現のために大事な要素だけど、それ以上に、何を表現したいのか。
僕は途方もない長い時間を必要としたけど、今なら分かります。
「花と手紙だより」2025年5月23日